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はじめに
「看護学の焦点は,人間の健康であり,その目的は人間の尊厳をまもることである。看護学は,個人や集団の健康に貢献する」(日本看護系大学協議会,1999)と述べられているように,看護の重要な構成概念が健康であることは誰しも認識している。この健康について,能力の喪失や機能不全をめぐる人間独自の体験としての病気(illness)(Benner & Wrubel,1989/1999)という考え,つまり人間の体験としての健康とはどういうものであるか考えてみたい。
病気(illness)(Benner & Wrubel,1989/1999)という考え,つまり人間の体験としての健康とはどういうものであるか考えてみたい。看護学がめざす目的は,「その人が常に尊厳をもって自分の意思を大切にして生活し,生き抜くことができることにある」。また,「看護は,その専門知識・技術を活用して人々がどのような健康状態であろうと,安心してその人らしく生活ができるように援助することを使命とする」(日本看護系大学協議会,1999)と書かれている。このように,看護とは,生活を切り口にして,人々の健康に貢献できるものと考えられていることがわかる。
それでは,看護は生活をどのように捉えてきたのであろうか。オレムのセルフケア不足看護理論(Eben,1995)では,セルフケアは人間が日常生活を営んでいく上での基本的な行為を意味しており,そのセルフケアは人間的な相互作用とコミュニケーションによって学習され,普遍的・発達的・健康逸脱時のケアの要件を満たすために,連続して行為する意図的な行動であると考えられている。この考え方では,人の行為に焦点が当たっている。再び日本看護系大学協議会の看護教育に関する声明から引用すると,「看護は人間を全存在として対応する。看護職者が見る人間は,さまざまな身体部分の機能の総体ではなく,むしろ1つの統一体として存在する。看護学は,人間の苦痛や苦悩あるいは症状が,疾病によってのみ起因するのではなく,身体的・精神的・社会的に,全体として切り離して考えることのできないものとして捉える。看護学は,人間を生活する主体としてその生活の営みの中でとらえる」のである。ここでは,ベナーらの現象学的人間観にたって,「人であるとはどういうことか」,看護の重要な構成概念である「人間」と「健康(病気を含む)」から,看護において「生活」をどう捉えるかということを考えてみる。
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