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はじめに
看護実践教育と教養教育の関係については,「看護実践能力育成の充実に向けた大学卒業時の到達目標」と,その参考資料「看護系大学の学士課程における教養教育について」において明確に説明されている(看護学教育の在り方に関する検討会,2004)。これによって看護技術教育における教養教育の意義を理解することができる。筆者は,3年前より教養教育の重要性を認識し基本看護技術の演習プログラムを開発してきた。プログラムについては別項で説明されている。その意図はこれまでに発表したが(櫻井・浅野,2005),本稿では,より具体的な方針とその考え方を説明する。
明確に断っておかなければならないが,教養教育の具体的方法論を客観性・普遍性を維持して説明することは,非常に愚かな試みに陥りがちだ。清拭の方法を説明しようとして「○度の温湯に○分間浸した後,○%の水分が残るように絞ったタオルを用いて○キログラム重/平方センチメートルの圧力をかけて○回往復させる」と語ることのナンセンスさと同じである。つまり,施す者と施される者の組み合わせによって,詳細部分の按配がいくらでも異なるということである。それでも,具体的な方法の一端は紹介されている。
雑多な状況に共通して含まれるものを精粋して抽出したものは,いわば一種の無形文化である。以下ではそれを「作法」と呼んでいるが,上記の清拭の例でいえば,看護師であれば誰でも反復された経験から得られる,異なる看護師間で大きく異なることのない清拭の精髄が存在する。方法論は本来厳密に表現できる手続きの記述だが,精髄と呼ぶものは厳格な言語化が難しい。実際にここでいう方法論は,論理を組み合わせて構成されたものではなく,個人的な経験を拠り所にしている。その理由は後述しているが,それは教養教育の精髄を手繰る試みで,そのなかから感じ取ってきたことと,それを看護技術の演習にどう活用しようとしているのかということを本稿では記述する。
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