特別寄稿
明治元年の産婆取り締まりの意図(後編)
大林 道子
pp.306-311
発行日 2009年4月25日
Published Date 2009/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665101412
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「産婆ノ売薬・堕胎禁止」布令の原文を読む
「産婆ノ売薬・堕胎禁止」布令の出典
太政官時代18年間(明治元年閏4月21日~明治18年12月22日)の政府記録の基礎的資料と言われている「公文録」(4,102冊)のなかに,年月を絞りこんで「産婆ノ売薬・堕胎禁止」布令を検索したが,見つけえなかった。それは「太政類典」のなかに見つかった。「太政類典」は「公文録」はじめ「皇族家記」「太政官日誌」などの諸書から「典礼条規」を採録した編纂記録(911冊)で,制度,儀制,兵制,租税,刑法など19項目に分類されており,そのなかの『太政類典草稿 自慶応三年 至明治四年七月 保民 衛生』の巻にそれは載っていた。この巻には,1868(明治元)年3月8日の「西洋医術採用」を筆頭に1871(明治4)年7月の事項まで36項目列挙されており,元年の項の最後に「産婆売薬ノ世話又堕胎ノ取扱ヲ為スヲ禁ス」が入っている。この原文は,前号に引用した通りである。
この布令文の最後に,“城”の字が小文字で書かれている。これは1882(明治15)年に太政類典の名称が変更された公文類聚にも,同じようにそえられているが,活版印刷本になった「明治年間法令全書」にはない。この“城”が出典「東京城日誌」の略記号であることを知ったのは,偶然ほかの資料を読んでいる時であった。たしかに,それは「東京城日誌」のなかにあり,私が探しえた限り最も古い出所である。そこには,表題として「御布令書写」とあった。「産婆ノ売薬・堕胎禁止」の結文の「相達候事」の形式から“達”が適当かもしれず,今後の調査を要するが,本稿では「東京城日誌」に従って一応“布令”と記すことにした。
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