母もわたしも助産婦さん
産婆
野中 田鶴子
1
1福島県立会津若松総合病院
pp.32-33
発行日 1966年3月1日
Published Date 1966/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203146
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「何だお前さん,産婆の道具でも持ってきたのか?」と少し遅れて入っていった宴会の席で,私のバッグを指しながらある医師のダミ声がとびました.黙って笑いながら席につき,心でこの言葉をかみしめてみました.
そう……,産婆.随分とききなれた言葉であり,かつ今だに嫌な言葉として胸に刻まれている言葉です.産婆とはどういう職業かよくわからない時分から,私たち姉妹は,よくみんなから"産婆の子,産婆の子"といってからかわれました.同じ年頃の子どもからは何かというと"やあい産婆の子"とはやされ,学校に行けば男の先生から変な下品なイヤなことをいわれまっ赤になることもしばしばでした.そして知らず知らずのうちに産婆という職業に対して劣等感と嫌悪感を持つようになり,産婆とはけっして人に言えない恥かしい職業なのだと思いこむようになりました.
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