連載 水俣からのレイト・レッスン・3
「水俣に移動診療所を!」の活動―看護師の訪問活動に焦点をあてて
山口 忍
1
1茨城県立医療大学保健医療学部看護学科
pp.724-729
発行日 2012年8月10日
Published Date 2012/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1664101942
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前号では原田により水俣病発生から今に至るまでの経緯が語られ,保健師の姿が見えてこないとの指摘があった。その点について,荘田によれば,水俣保健所の保健師とのやり取りのなかで「行政責任を問われている裁判の過程では,行政の側の一端を担っている保健婦には,水俣病関係の発言は一切許されてこなかった」1)という答えがあったという。
また,首藤の『生ける人形の告発―水俣病15年の記録』には「解剖を家族に納得させるのは骨が折れる。それは,現地の水俣保健所の保健婦の仕事だった。患者が危篤だと聞くと,自宅にいって息を引き取る前から,解剖の話をしなければならない。保健婦にとってこれほど気の重い仕事はなかった」2)という記載がある。住民に一番近いところに保健師がいたことが推察される。
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