看護歴史教育講座・創成期の日本の看護教育 米国プレスビテリアン・ミッションの往復書簡にみる桜井女学校附属看護婦養成所の経緯・2
看護婦養成所の運営をめぐって
高田 みつ子
1
1国立横須賀病院附属看護学校
pp.510-515
発行日 1986年7月25日
Published Date 1986/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908262
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第1期桜井女学校附属看護婦養成所準備期
桜井女学校附属看護婦養成所設立時の状況
ツルーは,桜井女学校内に看護婦養成所を設立した.この時の動機は,多くの資料により知られている.
1883年(明治16)婦人宣教師ジョン・シー・バラ(J. C. Ballagh)夫人が肺炎にかかった折,看護婦の世話を受けようと思い依頼した.しかし,日本にはまだ看護婦が存在していなかった.これにいたく失望して,看護婦のいない国は病人の不幸である,それなら自分で看護婦を養成しようと帰米したが,募金活動の最中に死亡した.この時,たまたま休養のために帰米していたツルーが,その遺志を継いで桜井女学校内に看護婦養成所を設立した.
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