特集 看護理論の構造式化・2
野島モデルと構造式
中西 睦子
1
1日本赤十字看護大学
pp.611-614
発行日 1986年9月25日
Published Date 1986/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908275
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アメリカ人をイメージするときには,風に向かって立つ姿が出てくる.動作が鋭角的であいまいさがない.対する日本人は,風の中にたたずんでいるのである.何かをしているようでもあり,何もしていないようでもある.‘たたずむ’という存在のし方は,一つのパターンにほかならない.それ自体分析を拒む.
別役実は,芝居における役者の‘たたずまい’に固執する.存在感を与えるものは,決して役者のアクションではなく,‘たたずまい’の総合性であるとみているから.言うまでもなく,と彼はいう.‘目や表情のみの芝居は,局面的な論理や意味に直接対応し過ぎるから,それがそこにゆるやかに存在するという総合性を損う’1).別役のいう‘存在の総合性’は,その根源を身体性の次元に発する.それ自体一つの全体として存在する人間である.いったいわれわれ日本人は,在るものを分割することとも,分割されて在ることとも本来好まない.そういう存在のし方をしている.少なくとも,従来はそうであった.
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