日本看護婦物語・その8
日本の近代看護創生期の人びと—桜井女学校看護婦養成所(3)
高橋 政子
,
土曜会
,
歴史部会
pp.81-86
発行日 1968年12月1日
Published Date 1968/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914242
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大関和子(つづき)
大関は,東京看護婦養成所の生徒を1期から9期まで,持ち前の情熱を傾けて指導教育したが,この頃は1年2回の募集で,養成期間は半年,1回に20名の採用で,1年に40名の卒業生を出した。
明治33年には,鈴木雅子のあとをうけて,東京看護婦会会頭となったが,彼女は派出の指名をうけると,何をさておいても,自ら第一線の派出に喜んで応じた。しかし,明治42年11月,大関看護婦会設立以後は,とかく体が許さず,会員によって派出は代行されるようになった。
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