小特集 学生とのかかわりを考える
臨床実習における感動の必要性
末木 節子
1
1帝京高等看護学院
pp.675-678
発行日 1984年11月25日
Published Date 1984/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908019
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看護が社会の在り方によって変化するのは,人間が文明の所産によって動かされるからであり,それは看護教育においても同様である.私たちのフィールドである教育における看護学生は,まさに現代機械文明の所産の中に生まれ育っている.このことから,時間の流れの中で患者の在り方そのものに変化があるように,学生の在り方にも変化があるのは当然である.私たちは過去も現在もあまり変わりなく,説明し,理解させ,行動を変容させるといった指導を主体としている.
しかし,‘現実感覚は変容し,生存するためにどうしても従わねばならぬ自然の現実を“知ること”を忘れ“願うことすべて叶う”という社会意識が日常心理を支配してしまっている’1)現代の若者たち(看護学生もそうである)に,昔ながらのパターンをもって指導効果を期待するのは無理なのではないか,と私はこのごろ考える.それは私自身,このことが重要だとする方向と学生の方向がかみ合わない体験を何度も繰り返した結果である.矯正していくとか修正していくという内容でもなく,それは機械文明の所産である現代社会における人間の感動の不足ではないかと考える.そのことを2人の学生の事例を通して考察し,今後の問題を明らかにしてみたい.
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