Scramble Zone 長野パラリンピック・ボランティアを体験して
感動を未来の力に
成沢 和子
1
1信州大学医療技術短期大学部
pp.568-569
発行日 1998年7月25日
Published Date 1998/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903811
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第7回冬季パラリンピックが初めてヨーロッパを出て,日本,それも長野県で開催されることが決まったとき,地元のわれわれ信州大学医療技術短大としても,学生が何らかの形で関われることを望んでいた.1996年の夏,教育学部障害児教育の田巻義孝教授を窓口にして学生ボランティアの募集が始まり,医療短大にも声をかけてもらった.最終的に52名(うち男子4名)の学生が登録し,NAPOC(長野パラリンピック冬期競技会組織委員会)の指示に従って準備を積み重ねていった.その間に,医療短大の学生の大部分が開会式で,国名を書いてある衣装を着けて各国選手の先導を担当することに決まった.医療を学ぶ学生であることが選ばれた理由だとうかがった.学生たちもこれには驚き,感激し,また緊張したようだった.担当した国の選手との交流から多くを得た者も多かった.以下に学生の感想を紹介したい.
私はドイツの担当だったので,どうやって会話をしようか不安でした.選手たちの所へ行くと,約90名の選手が優しく私を迎えてくれました.会話はお互いに片言の英語でしました.思うように話が進まず,すぐに開会式が始まってしまいせっかく仲良くなったのにと残念でした.
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