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2007年9月,私はワシントンで開催された学会に参加した後,Brigham and Women's Hospitalの放射線科と共同研究の打ち合わせのためボストンへ向かった.ボストンローガン国際空港からホテルに向かうタクシーの車中,ドライバーに「ワシントンからの飛行機は満席だった」と会話を切り出すと,ドライバーは「明日なら空席が沢山あるよ」と応じた.「そうか,明日は9月11日だ」と妙に納得した.2001年9月11日に発生した同時多発テロでは,ニューヨークの世界貿易センタービルに衝突したアメリカン航空とユナイテッド航空の2機が,このボストンローガン空港から出発している.私はこの同時多発テロが発生したとき,偶然アメリカ国内に滞在していた.ドライバーと「アメリカ人でもあんなに落ち込むのか,日本人には信じられなかった」「ボストン出身の消防士が亡くなり,その葬儀は荘厳だった」「あのときは献血センターに長蛇の列ができた」などと話をしているうちに,タクシーはホテルに到着した.
チェックインしてテレビをつけると,ほとんどのチャンネルは同時多発テロに関するドキュメンタリー番組であった.すべての航空機を緊急着陸させた航空管制システム,大量の航空機が緊急着陸した地方空港の混乱,ブッシュ・プーチン両大統領のホットライン会談,犠牲者の家族のその後など,多彩な番組が放映されていた.その中でもクローズアップされていたのは,事件発生直後真っ先に救出に駆けつけたニューヨーク市消防局の消防士達が見せた勇敢な活躍であった.倒壊した世界貿易センタービルで亡くなった消防士は343名で,同ビルでの犠牲者全体の1割を少し上回る数である.犠牲となった消防士が出動した分署,残骸の中に残された消防車などに焦点をあて,おのおのの局が工夫を凝らしドキュメンタリー番組を作成,事件発生後6年経過した今も放送していた.昔から,消防士はアメリカの子供にとって身近な存在であり,憧れの職業であった.彼ら消防士が見せた勇気と感動はアメリカ人の誇りであり,決して風化することなく語り継がれることであろう.
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