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看護論についての哲学的ノート
中岡 成文
1
1福岡女子大学文学部
pp.728-737
発行日 1980年12月25日
Published Date 1980/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907497
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去る2月,ある雑誌に哲学の論文を発表したところ,思いがけず,本誌編集部から電話をいただいた.筆者はこれまでヘーゲルを中心に研究を進めてきた哲学徒で,医療や看護にかかわった経験もほとんどなく,先の論文も看護とは無関係と思われた.それで最初は驚いたのであるが,いくつかの資料を読ませていただいて,看護学の領域で近年,方法論的議論が活発に行われていることを知った.それらの議論は,もちろん看護実践に基づきながらも,ある面ではその限界内にとどまらない一般性をもっている(方法論というからには当然であるが).さらに言えば,それらの議論は,多かれ少なかれ,哲学を含む人文・社会科学の諸理論(プラグマティズム,現象学など)の影響を受けていて,こういった学問の動向(‘流行,と言うべきか)と無縁ではないように見うけられる.これなら哲学専攻の筆者が本誌に一文を寄せるのも無意味ではないかもしれない—そう考えて,あえて筆を執らしていただいた次第である.
さて,編集部の要請は,看護とは何か,看護学の学としての成立根拠はどこにあるのかについてヒントを示せということであった.冒頭に言及した筆者の論文の主題は,一般に理論(認識)は,一連の観察・経験のプロセスの中で,いかに修正され,進展していくかということであった.
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