私の発言
忘れられない出会い—ある未熟児の看護を経験して
福井 景子
1
1京都大学医療技術短期大学
pp.721-727
発行日 1980年12月25日
Published Date 1980/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907496
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私が看護婦の道を決めたひとつの理由として,看護はいろいろな人と出会える職業であると考えたということがある.‘いろいろな人’というのは,病院であれば患者さんであり,その家族であり,また同僚であり医師であり,そのほかの職種の人たちである.教育関係の施設であれば,医学生もいれば看護学生もいる.
同じ職場に何年か勤めていれば,入院や退院を通して,新しい人との出会いがあり別れもある.看護はいろいろな人との出会いと別れを最もドラマティックに経験する職業であると思われたからである.そして,この職業は社会的役割を担っていると考えるならば,少なからず何らかの役に立つ人間になれるのではないかなどと,そのころは純粋に考えたものである.
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