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体験されている空間と生活世界—ボルノーの空間論をめぐって
高崎 絹子
1
1埼玉県立衛生短期大学
pp.205-215
発行日 1979年4月25日
Published Date 1979/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907325
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序—生活世界とは
我々は,他者や環境世界をどのように認知し,経験しているのであろうか.
メルロ=ポンティ, M. は,我々に開示される世界は‘私の経験と他者との経験の交叉点で,そわら諸経験のからみ合いによってあらわれてくる意味’1)であるとしてとらえている.またフッサール, E. は‘他人とのいきいきとしたそれぞれの結合の中の人々としての,われわれに,共同の“この世界”という形で,世界は自然的に眼前に与えられている’のであり,その世界というのは,‘たとえば物理学者にとっては,彼がその中で自分の計測器械を見ていたり,拍節器の音を聞いたり,量を見ながら測ったりなどしている環境世界であり,しかも,その中で彼自身もいろいろ行動したり、理論的な思考をしたりしながら,含まれていることを意識しているような環境世界’3)であると述べている.このような世界を,彼は‘生活世界’(Lebenswelt)と呼んだ.
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