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在る姿と在りたい姿の葛藤のなかで—厚生病院付属高等看護学院の看護教育の実際
阿保 順子
1
1厚生病院付属高等看護学院
pp.689-702
発行日 1978年11月25日
Published Date 1978/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907266
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はじめに
そもそも,目的とか目標などというものは初めからあったわけではない.無我夢中で与えられた仕事をこなしているうちに段々と目覚めていった.次第に‘こうした方がいいのではなかろうか’また‘こうすると絶対失敗する’‘こんなふうにやっていたらうまくいくようになった’などと自然に経過していった.そしてある時期にふっと気がつくと,そこに目的・目標が定まっていた.私たちの教育はそんなふうな成り行きで今に至っている.
だから,私たちの教育は初めに理論があったわけではない.まず実践があった.その実践を反省していくうちに,目的ができあがっていたのである.目的ができあがってみると,今度はその目的がはたして適当かどうか,と考えるようになった.そこで教育とは何なのか,また看護とは何なのかと考える.そして更に,それらが意識的な実践へと環元されていく.
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