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1.探求へと向かう旅の前に
認知症のご主人を支える1人のご夫人が,ある時ご主人にこんなことを言ったそうです(北海道認知症の人を支える家族の会,2008).「たくさんの思い出を作っても,いつかは(認知症のために)忘れてしまう.最後にはきっと私のことさえも忘れてしまうに違いない」.するとご主人は,「たとえ忘れたとしても,由紀子の顔がわからなくなったとしても,俺の心の中にはきちんと残っているからね」.そう奥さんに語られたのだそうです.奥さんにとってそれは,認知症のご主人から贈られた言葉のプレゼントだったのだといいます.また,オーストラリアで認知症を患いながら暮らすクリスティーン・ブライデンさんは,こんなことを言っています(ブライデン,2005).「認知症の人を見れば,人々はただその表面だけをとらえてその人のことを無価値だとか,理解する術もないとか言いますが,人々はそこに真の人間が,その魂が存在することに気づかないのです.しかし,その存在は常にあるのです.たとえその人が口も聞けず目も見えずただ終わりを,死を待っているだけであろうと,魂は存在しているのです」.そして,「最後まで,自分は自分なんです」と.
自分の記憶がなくなっていくことがどれほど辛く,苦しく,恐ろしい体験であるのか,当事者でない私には,想像することすらとても難しいことです.ですが,たとえ記憶がなくなり奥さんの顔すらわからなくなったとしても,心の中にはちゃんと自分は自分として残っている.当事者である彼らはそう語っているのではないかと思います.つまり,彼ら認知症の当事者は,そしてそのご家族は,さらに私たち看護者も,実は知っているのではないかと思うのです.例えば,自分が生まれてから身につけてきたお金や学歴や名誉や地位や記憶など,何もかもがなくなっていくようなそんな状況になったとしても,最後まで私という存在は私であってそこに在るのだということを.ですがそれでは,私はわたしであってそこに在るというその私とは,いったいどんな私であり,どんなあなたなのかと問われると,そうした私の在りように対して,今まであまり自らのまなざしを向けてこなかったように感じます.
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