慈恵における看護教育史
Ⅱ.高木兼寛と教育方針
坪井 良子
1
,
芳賀 佐和子
1
,
松田 道子
1
,
高橋 陽子
1
1慈恵看護専門学校
pp.114-119
発行日 1978年2月25日
Published Date 1978/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907183
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高木兼寛は嘉永2(1849)年9月15日,日向国東諸県郡穆佐(むかさ)村白土坂(しらすさか)に生まれ,幼名を藤四郎と称した.父嘉助は鹿児島藩士であったが番匠であったらしく,藤四郎は14歳くらいまで父の手伝いをしたといわれ,藤四郎の造った家が宮崎にあるともいわれている.18歳のとき鹿児島に出て,石神良策について医学を学んだ.このことはその後の兼寛に大きな影響を与えたものと思われる.
医学者としての高木兼寛の業績のなかで大きく評価されているのは,脚気病に対する研究であり,ビタミン発見への糸口をつくったことは世界的に高く評価されている.
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