人にみる公衆衛生の歴史・4
森鷗外(1862〜1922年)と高木兼寛(1849〜1920年)—衛生学研究のあり方
川上 武
1
,
上林 茂暢
1
1杉並組合病院内科
pp.432-433
発行日 1971年7月15日
Published Date 1971/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204293
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衛生学者"鷗外"
衛生学にとって,疫学的方法の重要性はいまさら問うまでもあるまい.スノウのコレラ流行調査(1854)とコッホのコレラ菌発見(1883)に代表される,疫学的方法と実証医学的方法の関係は衛生学の古典的事実とされている.
ところが,疫学がコッホ的仕事の華やかさの陰におかれてきたこともあって,ともすれば軽視されがちである.疫学的方法が定着していないために,労災・職業病・公害の原因究明を歪め,あらたな被害者を防ぎきれない現状では,その意味があらためて強調されねばならない.このような角度から,脚気対策における,森鷗外と高木兼寛の場合を検討してみたい.
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