人間と科学との対話
ひとつの身体論のこころみ(1)—‘身(み)’の諸相
市川 浩
1
1明治大学
pp.387-391
発行日 1977年6月25日
Published Date 1977/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907109
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‘身’は具体的な実存をあらわしている
デカルトは哲学的な思索をしたことがなく,もっぱら感覚のみを用いている人は,精神が身体を動かし,身体が精神にはたらきかけることをつゆほども疑わず,両者をただ1つのもののように考える,つまり心身合一を考える,といっています.じっさいわれわれは,日常このような心身合一の状態で生きています.デカルトはよく反省すれば,精神と身体は別々のもの(実体)であることがはっきり分かるはずであるといいますが,私はむしろデカルトのいわゆる心身合一の状態こそ,われわれの真の在り方であり,いわゆる‘精神’と‘身体’はその在り方の2つの局面であると考えたいと思います.
このようなわれわれの在り方をあらわすもっとも適切なことばは,“精神としての身体”(勁草書房刊)で指摘しましたように,‘身(み)’ということばでしょう.‘身’はもちろん肉体としての‘からだ’の意味します.‘身二つになる’ことにおいてわれわれは生まれ,‘身になる’食物をとり,栄養が‘身につく’ことによって成長します.しかし成長はからだが大きくなることだけではありません.われわれは経験を積み,人や書物からまなぶことによって,経験と知識を‘身につけて’ゆきます.
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