この人と
この人と
小笠原 登志子
1
1佼成高等看護学院
pp.1-3
発行日 1971年4月25日
Published Date 1971/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906441
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
患者って簡単にいってもね,地域では,家庭では,職場では一体どのような存在なのかをね,学生に教えたいんですよ。それをキッチリしてればあとはね。
この人の看護歴には一貫しているものがある。都立保助学院保健婦科→八丈島町立病院での活動→東京都下日野原村の公衆衛生看護活動への援助などにみられる姿勢,つまり,患者を単に病人として捉えるのではなく,社会的な座標軸のなかでつかまえて活動することが必要だという姿勢がそれだ。島根県松江赤十字病院付属高看学院出身。「それからすぐ病院の小児科病棟にいったわけ,それも4年間」小児科の場合が特別だったのかはわからないというのだが,「なにしろ退院してちょっとたつとまた入院というケースが多くてね,やっぱり退院後の指導をキチンとしなければと思ってたんですよ。」それと,勉強したい気持が保健婦学院への進学を決意させた。
Copyright © 1971, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.