八丈の島から
第2回 沖で見たときゃ鬼島と見たが
小笠原 登志子
1
,
明神 兎亀子
1
,
膳亀 和子
1
,
古川 千寿子
1
,
八代 悠紀子
1
1町立八丈病院
pp.44-45
発行日 1967年6月10日
Published Date 1967/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203954
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□伝説の女護ケ島□
紀元前219年,始皇帝の命を受けて不老不死の霊薬を求めてまわった秦の方術士徐福が,紀州熊野に漂着したとき従者の船は潮に流されて,女船が八丈島に,男船が青ケ島に着いたという。なるほど,島の近くを流れる黒潮は紀伊半島の南端を通って北上して来ている。「南風だよ,みな出ておじゃれ,迎えぞうりの紅鼻緒」……1年に1度だけ青ケ島から夫を迎えたと,今も八丈シヨメ節に歌われるこの島の女性たちは,晴れた日に沖合はるかに浮かぶ島影をどんな想いで眺めたのだろうか。わかるような気もするのである。もっとも,東京から飛んで来る飛行機の爆音の方がずっと胸に響くのではあるけれど…。
八丈という島の名の由来はいろいろと伝えられているが,長さ八丈の絹織物を産する島であるからとか,保元の乱に敗れて大島に流された鎮西八郎為朝が,黒潮を渡ってきて島のあちこちにゆかりの場所を遺したことから八郎の島ことばハッチョウが訛って八丈になったとか,島の三原山が幾つもの峯に分かれていることから八岳が変化して八丈となった。などが一般的なようである。
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