特集 国際・国内学会の焦点
小児保健学会
船川 幡夫
1
1国立公衆衛生院乳幼児室
pp.15-19
発行日 1967年2月1日
Published Date 1967/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905765
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はじめに
明治から大正へのわが国の小児は,種々の感染症,消化器呼吸器,疾患なども多く,決して恵まれた健康状態とはいえず,そのため,乳児の死亡率も明治の末期から大正の初期にかけては,200(出生1,000対)に近く,したがって,この当時の,小児科学の中心課題も必然的に,それらの患児を如何にして診断し,如何にして治療し,死亡からすくい出すかということに追われていたという状態であった。
欧米からの技術の導入,小規模から大規模の産業へ,日清・日露戦役から第一次大戦へと,わが国内のすべての面での大きな変動がおこり,漸くわが国の産業形態の変化,人口の都市集中,工業中心地への人口移動などがおこるにつれて,まず労働要員としての少年の健康管理という変則的なかたちをとっていたとはいえ,小児の死亡や,疾患など健康の問題を,ひろく,社会的な立場でとりあげようとするきざしがあらわれてきた。
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