教育の歴史・7
複線型学校体系から単線型学校体系へ
高倉 翔
1
1大阪学芸大学
pp.37-40
発行日 1964年11月1日
Published Date 1964/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905378
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近代市民国家の成立と教育
1789年のフランス革命に代表される市民革命を経て,近代市民国家が成立すると,教育の歴史にも大きな変化がおこった。市民国家成立前の絶対主義国家時代には,先号で述べたように,支配階級の教育は大いに発達したが,一般大衆の教育は,絶対国家(王)目的を実現する手段として上から強制されるか,あるいは放置されたままであった。それが,市民革命以後になると,自由平等な社会を実現するために,支配階級と一般大衆の教育差別を廃止して,新しい国民教育制度を構築しようとする努力があらわれ,たとえばフランス革命後の議会には,多くの国民教育案が提出された。これらの教育案は,新しい時代にふさわしい,教育の機会均等を実現しようとする努力を示すものであった。しかしながら,これらの教育案はすぐには実現されず,結局は流産した。教育案にもりこまれた構想が実現されるのは,第一次大戦後をまたねばならなかったが,しかし,この構想は,その後における世界各国の,教育改革の努力目標を示すものとして,きわめて重要な意義をもつのである。
ところで,いろいろな種類や程度の学校の接続関係の体系は,学校体系とよばれる。学校体系には,三つの類型が考えられる。第1図は,三つの類型を図示したものである。この図は,中等教育段階までの学校体系を示したものである。
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