一つの試み
—外科看護法を教えるにあたって—学生の自己活動を主体とした教授法
国分 あい
1
1日赤中央病院
pp.22-26
発行日 1964年4月1日
Published Date 1964/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905271
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はじめに
看護の本質は何か,看護の独自性は何か,また現在臨床の場で行なわれている看護業務の内容が,看護のあるべき姿であろうか,などの論議や調査が盛んに行なわれている。また看護婦学校本来の目的から考えてみても,看護法の教師に課せられた問題は,そのまま「看護」そのものの問題ではないだろうか。各科看護法の教授内容は,看護婦学校で教えられる多くの知識を集積し,凝集し,そしてここに展開させてゆくべきものであろう。外科看護法として,法定30時間の中に盛られるべき内容も,やはり看護の本質を捕え,総合看護を前提として,学生を看護のあるべき姿へと導くための,いとぐちとならなければなるまい。外科看護法の教師として,最近特にこのようなことを考えてみて,私の実施してきたいままでの内容,技術ともに何か自分ながら満足ができず,私の知識の不十分さに加えて,じっくりと,教案を練り直すことに取り組むゆとりもないままに,気のすまぬ講義を続けてきた。ある場合は,理論の裏づけに乏しく,経験のみに頼りすぎ,知らぬ間に独断的な内容になっていなかっただろうか,また反対にある場合は理論のみに走り,臨床の場で看護の行為となり,それを受けた患者の満足や福祉につながるといった点で,看護の最終目標への手がかりとなっていないのではないかということである。病棟勤務が忙し過ぎる。
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