特集 生活指導はどうあるべきか
生活指導についての私の意見(学生からの発言)
大学らしい生活を(短大生の場合)
井川 道子
1
1日赤女子短大
pp.24-26
発行日 1963年8月1日
Published Date 1963/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663904415
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一昨年四月に入学して以来「看護教育」を受けながらも納得のできない点を残しつつ2年が過ぎてしまいました。この中で,特に私たちの教育の大半を占める「生活指導」について疑問をもつ機会が多かったので,私なりにその原因,理由を考えて,ここにまとめてみることにしました。
まず最初に「なぜ指導に対して,こんなに疑問をもったか」と,いうところから考えてみます。結論から先に言いますと,まさしく「考え方の相違」と言い切ることができるように思います。つまり,私たち入学する者の考える大学と実際に教育されるときに現われる大学が違いすぎるからです。大学という名前がこんなずれをひきおこしているのかもしれません。私たちは本大学の看護学科に入学する者であるから,大学教育の目標達成のために教育されなければならないことは当然であり,教育の具体的実施方法も,この線にそって行なわれなければならないし,またこれが正しいことはだれでもがうなずけることであると思います。しかし実際問題としてはどうでしょうか。本学則第1条には「本学は博愛を基として真に人類の幸福に寄与し得る教養ある看護婦の育成を目的とする」と記されてあります。この文の内容は,私たち入学を許された者だれでもが目ざすところでありますが,あまりにも直接の目的である看護婦の育成のみに,力が入れられているのに驚きます。看護婦とは,教養を深め,あらゆる知識を取り入れてこそでき上がるのであると思います。
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