特集 現代の家族―神話を超えて
がんターミナル期家族が体験している日常性と非日常性
柳原 清子
1
1新潟青陵大学看護学科
pp.668-673
発行日 2002年9月25日
Published Date 2002/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903902
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熱心な援助者は迷惑,という家族のことば
「(家族に対して)熱心な援助者は本当は迷惑なの…」と小さな声で発言した人がいた.がんで家族を喪った人たちの集まり(遺族会)でのことである.この「家族に向けられる医療者の援助は迷惑」のつぶやきは,まわりの同じ立場の人たちに,「うなずき」となって広がっていった.何があったというのだろう.医療者からの頻回な病状説明,面談の設定,家族状況の聴取など,どれもが負担だったという.私は,そんな…と絶句の思いを抱きつつ,同時に,そうかもしれない,と納得もしていた.
「そんな…」の絶句の意味は,ターミナルケアの概念が入ってくる以前,1970年代の臨床を知っているからである.当時,家族の存在はほとんどかえりみられることなく,また,家族に関心をもつことは,医療本来の仕事ではなく出すぎたことと戒められた時代だった.ターミナル期に家族は,ケアからはじき出され,疎外のなかで苦しんでいた.だからこそ「家族ケアを!」のスローガンは大きなうねりとなって,ターミナルケアの臨床に広がっていったのである.
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