特集 「看護倫理」教育―国立相模原病院附属看護学校の実践
「看護倫理」を深めるトレーニング法―学習として倫理を強化する意味
斉藤 千秋
1
1国立松本病院看護部
pp.427-429
発行日 2003年6月25日
Published Date 2003/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903419
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はじめに
私個人,10年近く患者家族としてさまざまな体験をした.そして患者本人や家族の喜びや苦しみは,医師や看護師が持つ個人の道徳的配慮と,医療人としての倫理の有り様で,軽くも重くもなると実感することとなった.それは,過去に看護教育に携わった者としての反省ともあいまって,改めて看護教育を出発点として,看護をする私という個人が持つ道徳規範と,看護倫理を育てる必要性を強く感じさせるものであった.
遠藤は倫理について「個人や集団の道徳的な営みや信念,あるいはそれらの基準が道徳であり倫理である.しかし,道徳はどちらかといえば集団より個人的なあり方に用い,また道徳は哲学的背景を持たないのに対し,倫理は哲学的背景を持っている.」1)と述べている.このことを基軸にしてカリキュラムを構築するにしても,道徳は個人の成長に深く根ざしており,簡単に教育が必要=導人とはいかない.相模原病院附属看護学校で看護倫理の講義を担当するさいに,私は学習内容が,身近でしかも誰もが自分との関係の中で看護を見つめられること,判断能力を左右する個人の資質を学生全員が共有して磨けることを重視し,ナイチンゲール誓詞と,インシデント法を採用した.
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