連載 論より生活・11(最終回)
春待つ支度
頼富 淳子
1
1(財)杉並区さんあい公社
pp.1082-1083
発行日 2000年12月25日
Published Date 2000/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902420
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痴呆症の父親のタバコの火の不始末が心配だということで,娘さんが帰宅する夜8時まで,見守りを頼まれている家がある.その活動を引き受けてくれている協力員さん(区民の有償ボランティア)の陣中見舞いに訪れての帰り,吹きさらしの私鉄駅のホームに立った.頭上を太い幹からさしのべられた大木の枝が覆っている.春,電車が行き交う度に,花吹雪を散らす桜の木である.
暗いホームの明かりで目を凝らすと小枝という小枝の先に小さなエンジ色の円錐形のツンとしたものがついている.これから寒い季節をくぐるそのツンとしたものは,次の季節に葉になるものやら花になるものやら今はまだ見当がつかない.しかし,3月も半ばになり,風のぬるむ日が増えると,その芽は急に目覚めたようにメキメキふくらみはじめエンジ色から茶色に変わる.そしてついにたまりかねたように先端が少し破れると,中から黄緑色が顔を覗かせ,その中心にはうすいピンクがちょこっと置かれているのだ.もうこれが桜の花になるつもりであることは疑うべくもない.
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