NURSING EYE
看護に欠けていたものに気づかされた日々―在宅で介護して3年
高橋 幸子
1
1蒲生厚生診療所
pp.298-301
発行日 1997年4月25日
Published Date 1997/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663901600
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1993年の8月末日,私は34年余,看護婦として働いた大阪赤十字病院を退職し,痴呆状態のひどくなった義母の介護の生活にはいった.「現場にはもっと看護婦が必要!」と言いつづけてきた自分が,理由は何であれ辞めてしまうことに悩んだ.が,戦中戦後,幾多の困難をくぐりぬけて6人の子どもを育て,社会の発展にもさまざまな形で寄与してきた義母を,せめて自分の家が認識できる間は家で過ごさせてあげたい,それが今の義母にとって「病気になっても,人間らしく生きる」ということではないか,その生活を支えるには,専門職としての私が一番適しているのではないかと考え,退職の決意を固めたのであった.
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