特集 看護教育をより豊かに―教員も一般教養科目の視点を持とう
[対談]文化人類学との出会い―遠近両用眼鏡でみる能力
波平 恵美子
,
久保 成子
pp.320-325
発行日 1995年4月25日
Published Date 1995/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663901095
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久保 私が文化人類学という言葉を知ったのは卒業論文の論題を選択したときでした.私は仏文科でしたが,指導教授との初めての面接時,「『第二の性』を読んで,人は女に生まれない,女になるのだ,という言葉に衝撃を受けたので,自分は,ボヴォワールにしたい」と言いますと,教授は急に席を立たれて,窓際にいき,一言も口をきいてくれなかった.次の面談のとき「君は人類学という学問に触れたことがありますか?」と.「人は女に生まれない,女になるのだ,という一行の言葉には,膨大な学問的背景,特に,文化人類学が提示したものから,多くが汲みあげられて,やっとあの一行に至っている」と教授が話されたのです,そのとき,初めて文化人類学という学問があるということを,知りました.指導教授は中村光夫先生でしたが.
卒業後,看護の世界にUターンしてまいりましたとき,マーガレット・ミードの論文「看護・原初の姿と現代の姿」と題した1956年,アメリカ看護協会の要請で講演された講演録に出会いました.ニューギニアの2つの部族の出産の模様が紹介されておりましたが,その論で私の注意を惹いたことは,未開社会にあっても看護は,社会的機能であるということ,また,人類が存続していく上で看護は必要不可欠なものである,ということ,そして,看護という行為から「哲学する」ことが導きだされるといったことでした.
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