特集 自身のための支援ネットワーク
山陰医学看護学教育研究会のめざすもの
長崎 雅子
1
1島根県立総合看護学院教務課
pp.580-583
発行日 1994年8月25日
Published Date 1994/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900886
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看護教員としての悩み
私は1965年~68年に看護教育を受けた.当時の看護教育は知識の修得はもっぱら暗記による方法で,技術については先輩諸姉の行為を模倣していた.特に印象に残っているのは,看護の位置付けとして,「医学と看護は車の両輪である」と教わったことである.それ以来,私はずっとそのことを意識し続けている.
しかし,当時臨床の現場では,医師と看護婦の関係は主従的で,看護の業務の大部分は医師の補助的なものであり,日本の看護の歴史的な背景を引きずっていることを感ずるものであった.
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