連載 人間と教育・19
知的であってこそ道徳は生きる
上田 薫
1
,
加藤 由美子
1前都留文科大学
pp.486-487
発行日 1994年7月25日
Published Date 1994/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900867
- 有料閲覧
- 文献概要
選挙で一票を投じるのは当然の義務だが,その票が人の依頼によるものだったり,たいして考えもせぬいい加減のものだったりするのでは,胸を張れない.みずから十分に考えをつくした上で入れてこそ,責務をはたしたといえる.となると,考えるための知識ないし思考力が弱くては,有権者として道徳的であることは至難というべきである.
この例でわかるように,知的な力を欠いては道徳的行為が成立しない.民主的社会ではこのことはきわめて重大であるのに,案外に軽視されているのである.善意さえあればと人はとかく考えがちだが,相手の事情や気持ちに無知のまま,あなたのためを思ってとしゃにむに押しつける,いわば閉ざされた善意くらい始末に悪いものはない.世の中には思いのほか善人どうしの激しいいさかいが多いのである.
Copyright © 1994, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.