連載 できることをできるだけ 臨床からのメッセージ・15(最終回)
“できることをできるだけ”の実践者
小笠原 望
1
,
藤田 悌子
2
1高松赤十字病院神経内科部
2小野市民病院
pp.172-173
発行日 1994年3月25日
Published Date 1994/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900798
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私の大好きな藤堂婦長さんのことは,既に書いたことがある.内科病棟の現役婦長の時,勤務中に脳梗塞を発症し,右の不全マヒと失語症となった.9か月の入院治療の後に退院したが,もちろん言葉は充分に回復せず,病気のため退職していった.
「死ぬまで現役で」という気持ちだった婦長さんには,不本意であるようすがありありと見えていた.しかし,婦長さんの婦長さんらしいところは,ここから始まるのだ.
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