連載 被占領下(1945-51年)における日本の看護政策・7(最終回)
看護政策の実施
ライダー島崎 玲子
1
1北里大学看護学部
pp.492-500
発行日 1990年8月25日
Published Date 1990/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900083
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看護の行政機構成立
占領軍は上陸すると同時に,政治・経済・教育・医療・看護のすべての面の情報収集を開始している.1945年11月には,すでに空襲から免れた病院,看護学校の半数の施設の視察を終了した.サムスは日本の看護婦について,「看護婦の多くは産婆として働き,施設に働く臨床看護婦は,掃除や床磨きに使われていた」との報告を受けた1).日本の医師たちが看護婦を召使いのように使い,患者の看護が家族に委ねられ,なおざりにされているのを見て,直ちに改革の必要性を感じた2).オルトも日本の女性が男性から虐げられ(downtrodden)ているのに同性としていきどおりを感じたようである.彼女の日本人の看護婦観は,意思表示のできない内気な者としてみていたが,オルトは日本の女性が,指導によっては著しく成長する潜在的な能力を所持していることを見抜いていた.そこで看護婦が,将来,名誉ある日の当たる場所に到達できるように援助しようとの職業観に燃えていた3).
サムスおよびオルトは,ともに日本国民の健康を向上させるために,まず看護婦の教育のレベルをあげ,資質の向上が必要だと信じ,抜本的な教育改革を実施し,全国まで行き渡る看護行政組織を作る決意を新たにした(図参照,連載第2回の図2を再掲).
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