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はじめに:看護の基本構造に立ち返る
看護は病気に焦点を当てるものではなく、人間と人間の相補的関係性の中で対象者の自然治癒力を高める営みです。そのため、「病に苦しむ人間と私がどう向き合うのか? 病人にとって私はどのように存在するのか?」という内向的「問い」と「姿勢」は、看護において基礎になる重要な信念です。
現在の看護学教育は、Evidence-Based Medicine〔EBM、あるいはEvidence-Based Practice(EBP)/Evidence-Based Nursing(EBN)〕やシミュレーション教育などが隆盛を極めています。言い換えれば、現在の看護学教育は、個別的な歴史や体験、価値観を持った「実存的な人間」を扱うのではなく、主に身体的な問題点を正確にアセスメントし、適切に対応していく外向的問題解決志向・技術・思考の傾向が強くなっています。特に、問題解決型のシミュレーション教育は、前提として正解があり、再現可能性を包含しています。当然それは、法則性があるため「Science」に親和性があります。
しかし、看護の難しいところは、Scienceでありながらも、ケア者と患者双方の歴史、背景、思想、気分、体調、人格を含めた対人関係の中で発生する現象、すなわち同じものが1つとない「Art」の側面も同時に併せ持っていることです。
われわれは、今の看護学教育は、Artが基礎になってScienceが成立している看護学の基本構造が軽視されていると考えています。現在の教育を受け、問題解決志向が強くなった状態で学生が実習に出ると、正解を持つケア者という強者が病気で苦しむ弱者を救わなくてはならない、と強迫的かつ一方的なケアを押し付けがちになります。全人的ではなく、「私が考えるその人間の問題点」という一部分を見ることに陥りやすいのです。そのため、われわれは看護の基本に立ち返るべく、「問題解決も大切だけれど、お互いの物語を抱えた人間として向き合っているのだから、そこにはシミュレーションできない問題や現象もあるよね」と諭し、「『私があなたの問題を解決してあげましょう』と言えるくらい、自分はそんなに強者で立派な人間なのでしょうか」と、学生がScienceに偏るのではなく、Artも同時に大切にしてほしいという想いが伝わるような視覚教材を作成しました。
その目的は、EBM教育を否定するものではなく、むしろEBM教育での養いをより看護の営みたらんとするための、根底で支える人間と出会うための「Readiness(覚悟・心構え)教育」「Adaptability(適応)教育」「Flexibility(順応性)教育」です。この教材を使うことにより、ケア者も患者も同じ人間としての弱さと限界を抱え、個別の物語を生きてきた人間であるからこそ、相手のことは絶対に分かり切ることができないという「大前提」があることを容易に理解できます。むしろ、分からないからこそ、近似まで分かろうと努力しながら支え合うしかない。その努力のプロセスが看護の営みを根底で支え、相補的関係性への気づきを開くのです。われわれは、普段の授業中や特に精神看護学実習にこの視覚教材を活用し、学生が問題解決志向に偏りすぎないように心がけています。
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