連載 〈教育〉を哲学してみよう・10
専門性を育成するために(1):専門家のものの見方を考える
杉田 浩崇
1
1広島大学 教育学部
pp.450-454
発行日 2020年5月25日
Published Date 2020/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663201495
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専門職におけるわざ
『介護するからだ』(細馬宏道:医学書院,2016)には、言葉にしたり、意識にのぼったりすることのない細やかな身体のレベルの相互調整で介護行為が成り立っている様子が描かれている。たとえば、「ごく、ごく、ごっくん」といったオノマトペを使って被介護者の嚥下を援助するとき、介護者は相手が飲み物を飲み下すのに応じて、「ごく」と「ごく」の間を調節したり、「ごっくん」と言うタイミングを変えたりしている。一見スムーズに見える介護行為も、相手の心の機微を読み取り、互いに身体レベルでの調整を加えることに支えられているというのである。
また、現象学という哲学の手法を用いて看護師・看護学生の経験を研究している西村ユミは、看護行為が「見る主体」と「見られる客体」の間でなされるものとしてはとらえられないことを明らかにしている。たとえば、患者とのかかわりについて「視線が絡む」と表現した看護師の語りは、見る自分と見られる相手が密接に絡み合い、両者の区別がつかなくなるような感覚を表しているのだという(西村ユミ:語りかける身体,講談社,2018)。あるいは、看護学生がある患者に感じた気がかりに促されて患者理解を深めていく過程をもとに、「他者の理解は相手の側に促された経験としてはじまる」と述べている(西村ユミ:患者を理解するということ,現代思想,36(16),212-221)。
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