来た、見た、知った
教育を学ぶ立場として、『人生、ただいま修行中』から受け取ったこと
髙宮 庸司郎
1
1聖路加国際大学大学院看護学研究科 看護教育学専攻
pp.1036-1037
発行日 2019年12月25日
Published Date 2019/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663201386
- 有料閲覧
- 文献概要
今回、聖路加国際大学で行われた映画『人生、ただいま修行中』の試写会と本作の監督であるニコラ・フィリベール氏の特別講義に参加しました。私は消化器外科病棟で8年間臨床を経験し、現在、聖路加国際大学大学院看護学研究科にて、「看護を教えること」について学んでいます。その立場から、この映画と特別講義を通じて感じたことや考えたことなどについて述べたいと思います。
本作はフランス、パリ郊外の看護学校を舞台に、看護学生がさまざまな経験を積み看護師へと成長していく姿を描いた物語です。授業の様子から始まり、実習、実習終了後の教員との面談と進んでいきます。監督は自身の肺塞栓の体験をきっかけに、この作品を企画したそうです。特別講義にて監督は、「フランスでは看護師の社会的地位が低く、医療者ではない人々に看護師の仕事を知ってもらうことで、この仕事がいかに社会にとって重要であるかを伝えることが趣旨である」と話していました。さらに本作では、さまざまな人種や宗教の学生や患者が登場します。それらの人々のかかわりのなかで成長する看護学生の姿を描くことにより、社会の多様性と、社会が変わっても変わらない重要な価値観について示唆しているともおっしゃっていました。
Copyright © 2019, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.