特集 「治療を終える」に向き合う
【双極症】
〈essay〉
生涯一病人:躁鬱と修行
庄司 文雄
1
1NPO法人ノーチラス会
pp.1536-1537
発行日 2024年12月15日
Published Date 2024/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405207441
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はじめに
「『治療を終える』に向き合う」というテーマをいただいたが,双極性障害(躁鬱病)の当事者である私は,「この病気は基本的には完治しない。服薬も生涯続ける必要がある」と医師から言われた言葉を信じて今日に至っている。つまり「生涯一病人」ということである。そのため,この度の執筆依頼に対して,私にできることは,「『治療を続ける』に向き合って」きた,つまり,躁鬱を生きてきた自分自身のささやかな歴史を綴ることしかないと思っている。
私は昭和38(1963)年の生まれであり,現在,還暦を過ぎたところである。双極性障害を27歳で発症し,その後30年以上,万能感に満たされる躁状態と希死念慮に苦しめられる鬱状態の間(あわい)を生きてきた。おかげさまで,2023(令和5)年3月には40年間働いた職場を定年退職することができた。発症当時にお世話になった職場の産業医から,この病気との付き合いは「修行だと思いなさい」と言われたことを思い出す。私はその言葉を単に病気のつらさに耐えるということではなく,「病気をとおしながら自分を成長させていきなさい」という意味合いに捉えて,今日まで大事にしてきた。「修行」であれば,その過程で身に付けたものが何かあるはずである。わが身を振り返りながらそのことを考えてみたいと思う。
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