連載 臨床教育学 わからないこととの出会い・3
親が子どもをわかるということ わかりすぎるということ
遠藤 野ゆり
1
1法政大学キャリアデザイン学部
pp.218-224
発行日 2016年3月25日
Published Date 2016/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663200463
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前回は,「見えない生きづらさを抱える私」をわかってほしい,という強い願いが,相手をわかろうとする他者理解につながらない問題を考えました。そこから派生するのは,「自分の人生」という物語の主人公になれない,という問題です。この問題にはさまざまな要因がありますが,今回はそのなかでも,親に自分の人生の主人公をのっとられてしまうという問題を考えたいと思います。
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