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私は,3年間の看護学校生活のなかで,看護に対する思いを自分に問い続けてきたが,その思いの根本には父の死が切り離せない。高校生のとき,学校から帰宅すると父が台所で倒れていた。咄嗟に触れた父は冷たく,その瞬間,“死”を感じ,奇跡を信じることもできず,ただ目の前の現実を見つめていた。あまりの衝撃で,正直覚えていないことも多いが,右手で感じたあの冷たさを忘れたことはない。私は,“死=冷たいもの”,いつ起こるかわからないが誰もに確実に起こる永遠の別れ,恐怖や失望,という否定的なイメージで捉えるようになった。それから,ずっと何もできなかった自分の無力さと,父への申し訳ない気持ちと葛藤していたが,あるとき,父と共にニュースを見て「助産師は今必要とされているし,人が好きなお前に向いているんじゃないか」という会話をしたことを思い出した。それから,明るく希望に満ち溢れている“生”の誕生という奇跡的瞬間に立ち会いたい,たくさんの人の幸せをつなげたいという思いで助産師を希望し,看護学校へ入学した。
しかし,この3年間の学習や実習,多くの出会いを通し,さまざまな影響を受け,父に対する思いの変化とともに看護に対する思いが変化してきた。そのなかで,最も印象深い体験に,在宅看護論実習がある。私が受け持たせていただいた100歳代女性A氏は,70代嫁の介護を受けていた。受け持ち当初,A氏は眠っていることが多く,言葉かけに対し開眼する等の反応しかみられなかった。また,経口からの栄養はほとんど摂取できず,時には,急な高熱がみられることもあり,いよいよ臨死期が近づいていると感じられていた。私は,死が近いことを考えると,父の死を思い出し,恐ろしく,悲しく,寂しかった。そして,A氏の状態はどのように死に向かうのかと考えを整理するのに必死であった。しかし,嫁は,A氏の体調が変化する度に動揺こそみられたが,「よく生きたからね。昔はいろいろあったけど恩返しのつもりで私もがんばれる」と,死が近いことを意識しながらも,A氏の思いを尊重し,在宅での看取りに向け,精一杯介護を行っていた。時折,A氏もそれに答えるかのように,笑顔を浮かべたり,多弁になったりする様子がみられた。迫りゆく死は確かにあったが,嫁の温かく献身的な介護により,A氏はその後2か月生きた。
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