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教員からケアの現場を志して
──鈴木先生は,最初は一般中学校や養護学校で教壇に立たれていたとか。
鈴木 5年半,教員を勤めてから医療職に進みました。私の場合,人生の転機は誰かとの幸運な出会いに尽きています。大学教育学部に入る前には短大に通っていたんですよ。そのとき教わった教育心理学の先生が「特殊教育をみておいたほうがいい」と特殊学級を紹介してくれて,いざ行ってみたらその教室で10歳の少年がノートにずっと「く」の字だけを何週間も延々と書いているのに遭遇したんです。またその指導教師の方が一生懸命にその子の相手をしていて,「僕にもこの子がいつ,『く』から卒業できるのかわからないんだ」とおっしゃった言葉に,背筋が震えるほどショックを受けました。私は中高時代にバスケットボールに打ち込んでおり,国体選手に選ばれたまさにその時期に心臓脚気を発病し,1年間通院の日々がありました。そのとき進路について「これからは英語の時代」と院長の佐久間先生に助言してもらったもので英文科に進んでいたのです。結局語学は目的でなく方法でしかないなと行き詰まりを感じていた頃にその男児に会ったものだから,「まだ誰もわからないことこそわが道では?私はこの子に役立ちたい!」と天啓を受けたように思ったんです。それで調べてみたら当時特殊教育を教えるコースを持っていた大学は,北大のほか少数の大学しかなくて,地元で進学しました。短大の卒業謝恩会(英語劇)を終えてから北大の編入試験を受けるまでに19日しか期間がなかったので,もう,19日間ふとんで眠らなかったのですよ。いったんちゃんと寝てしまえば,“短大は卒業した”という安堵感もあるから,猛勉強を自分で続けられなくなると思いました。勉強の座り机を置いている部屋の壁に背中を当てて,机と一緒にくっ付いて,もたれかかるだけで休息しました。あと食事とトイレだけは動くけど,それ以外はずっとそのまま同じ机に向かって。水平姿勢にはならなかったです。その後,米国留学するときも当時奨学金はフルブライトだけだったから,必ず上位で通らないとと,同じく猛勉強。幸い100人に1人という倍率だったのを合格しました。いざコロンビア大学医学部へ留学していた時代にはもう日々そんな生活で……私,そういえばきちっと寝たことがなかったのです(笑)。
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