連載 看護の歴史―創る,学ぶ,探る,伝える・4
“看護教育”それは歴史を学ぶことから始めた
氏家 幸子
1
1大阪大学
pp.348-349
発行日 2006年4月1日
Published Date 2006/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663100275
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先日,30年前の卒業生数人が我が家を訪れて,コーヒーと手作りケーキで楽しいひとときを過ごした。そのとき入学式後写したクラス写真に“可愛かったあの頃”と付記したものをプレゼントされた。満開の桜のトンネルの中で,懐かしい顔々が微笑んでいる。今年も美しく桜の花が咲き,ナースをめざした学生たちの輝いた顔を見る季節が来た。
私が大阪大学医療技術短期大学部という国立最初の看護短大の開学時に,ただ一人の看護教官として着任したのは1967年(昭和42年)であった。保健所保健婦(以後,現在名称の保健師)の活動が好きであり,教官への着任を辞退していたが,当時は東大におられた金子 光先生から,看護界が努力してやっと設置に至った大学であり,決心するようにと説得された。本連載の第1回目に紹介されているように,東京看護教育模範学院時代の学生は看護への責任感が強かったというか,とうとう引き受けしてしまった。すぐ後で,お引き受けてしまったことを,まったくシマッタと思ったが,後のまつりである。その後は,学生への責任感と,自分が選んでなった看護への使命感で懸命に27年を過ごした。
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