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看護教育の歴史的一面
長吉 孝子
1
1埼玉県立衛生短期大学準備室
pp.577-580
発行日 1974年9月25日
Published Date 1974/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906808
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はじめに
看護は‘看護’という言葉の用いられる以前より,個人が人間としての出生とともにその行為を受け,生の終了と同時にまたその行為も終了されてきたように,人間の‘生’への援助,そして‘死’への安どとしての行為として行われ,存続してきたものといえよう.それは‘教えられた行為’ではなく,人間の連帯本能ともいうべきものに根ざしたものと思われる.そしてその行為は,人類の進歩と社会生活の複雑化に伴い,より多くの経験を積んだ特定の人々による病人のケアという専業的独自性の領域を構築していったのは,社会の進展に伴い職業が分業化していった他の職種の展開と同様であるともいえよう.
もちろん,この間にあっては,宗教的背景からの影響も甚大であったことは,社会の進展と同様である.すなわち,仏教・キリスト教などの伝播期にあっては,宗教的義務感から病人の救護は至高の行為と解されての看護の隆盛1)ともいうべき時期,そしてまた,宗教改革期に伴う看護の暗黒時代ともいうべき期間にあっては,一時期とはいえ,人道主義的な精神的背景をも没却した,単に報酬のためともいうべき労働としての病人の番人とも目された時期も存在したというのもまた事実であった.
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