NURSING EYE
看護学生Aの死―最後の時を共に歩んだ看護教師の体験
杉山 喜代子
1
1三重県立看護大学
pp.84-89
発行日 2006年1月1日
Published Date 2006/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663100211
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はじめに
「昨年は担当学生の死という大きなできごとを経験しました。4か月余の二人三脚のような共生の歩みと,亡き後の喪失体験を通して,1人の学生の生の重さと教師の役割を深く考える機会となりました。さまざまな経験を与えられて,看護教師としての生を全うしたいと思っています。」
これは,ある年の賀状に書いた私の挨拶である。前年の最も心に残る重いできごとが,学生Aの死であった。前途のある学生の死,しかも自ら命を絶つ死は教師に大きな喪失感を残し,教師としての,また看護者としての関わりを問われることにもなった。精神の病が癒えたAが復学後に取り組んだ実習の担当になり,準備段階から実習,事後段階を共に歩んだ私は,Aの突然の死に強い衝撃と悲嘆に襲われた。Aの復学後,そして亡き後に書き綴った覚書と回想をもとに,Aの死を受け入れてその生を意味づけ,私にとってかけがえのない経験として受けとめられるまでに数か月を要した。
精神を病みながら看護師を志望して生きたAの生の証と,終わりの時を伴走した私の体験を,教育職や看護職にある人たちに伝え,分かち合いたいと思った。看護教育の現実の矛盾に悩みながら歩み,入院体験によりさらに看護への志を強くして復学したAの生きた証を示し,その命の重さを伝えたい。そして担当者として共生した私の喜びと悲しみ,そこからの気づきを語りたい。
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