特集 KJ法の思想と技術を学ぶ
KJ法の思想―川喜田二郎と歩んだ半世紀
川喜田 喜美子
1
1川喜田研究所
pp.12-17
発行日 2006年1月1日
Published Date 2006/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663100195
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KJ法と私との関わりと流れ
KJ法を川喜田二郎が思いついたのは,1951年で,戦後間もない頃でした。彼は大阪市立大学の助教授に就任したばかりで,京都に住んでいました。その頃,奈良県の教育委員会から関西の学者連に,『日本書紀』にも記述されている非常に歴史のある山奥の都介野村を調査してくれとの依頼があり,川喜田もそれに参加したのです。
その年の2年半ぐらい前から,私は川喜田から結婚を申し込まれておりましたが,当時の私は「人生とは何ぞや」という心の壁にぶつかり,苦悩の中をさまよっていました。私は適齢期でもあって,他にも結婚の話をいただきましたが,苦悩の中にいるものですから,疎ましいだけでした。が,川喜田の熱心な話を聞いているうちに,川喜田の中の明るさ,心の壁を突き破るような透明な明るさ――これは,どこからくるのだろうか,この人の思想,生き方は何だろうかと,本質的なものに私の心の焦点が次第に動き出して,1951年の晩秋,ようやく川喜田との結婚にふみ切りました。
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