連載 あのころ あのとき39
CLとともに歩んだ半世紀(1)
平野 潤三
1
1平安会平野眼科
pp.436-438
発行日 2004年4月15日
Published Date 2004/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410101049
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運命の出会い
CL(コンタクトレンズ)が日本に登場したのは1952年,私が名古屋大学を出た年だ。CLは名古屋で教室出身の水谷豊先生が開発し,名大眼科で治験が始まった。当時それは最先端医療で,教授から新入りまで誰も正しい用法を知らず,したがって事故が頻発した。装用3~4時間で充血,異物感が始まり,続行すれば角膜中央にびまん性表層角結膜炎(KSD)やびらんを生じる。一同これはCLが角膜を擦るためと考え,対策としてCLを大きく,タイトにして動きを抑えた。すると眼障害はますます早期かつ高度となり,CLの将来は悲観的だった。
若気の至り
ふと私はこれを角膜の酸欠症状と推定した。CL周辺から酸素が最も届きにくい角膜中央に障害が初発するのはそれ故だ。とすれば,嫌気性解糖で上皮のグリコーゲンは減少し消失するはず。それを確かめるには組織化学PAS反応がよいことも文献で調べた。実は私がインターンをした病院の眼科部長が眼病理学の権威船橋知也先生(後に東京慈恵会医科大学教授)で,眼科志望の私を特に懇切に指導してくださった。お陰で私は入局時すでに眼病理標本の作り方,見方を知っていたから,一応教室に届け出たうえ,すぐ実験にかかった。指導者も協力者もないが,励ましてくれる女医がひとりだけいた。幸い当時わが教室は研究費の使用が鷹揚だったし,実験用CLは水谷先生が提供してくださった。
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