連載 衛生制度の開拓者たち—明治はじめ京都における政策をめぐって・8
梅毒の蔓延とその対策
小野 尚香
1
1大阪大学医学部公衆衛生学教室
pp.410-413
発行日 1994年5月10日
Published Date 1994/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900932
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「廻れば大門の見返り柳いと長いけれどお歯ぐろ溝に燈火うつる……」1)。樋口一葉がえがいた『たけくらべ』の世界には,公娼制度が存在しています。大門をくぐりぬけた街は,娼妓(遊女,特に公に認められた遊女を示すこともある)の住む遊廓でした。
今から120余年前,京都の梅毒対策は,遊廓で働く娼妓たちを主な対象として始動しました。明治3(1870)年7月に開かれた療病館は,梅毒*について学んだ人たちと祇園の貸座敷業者(遊女屋)らによって支えられました。明治はじめの梅毒対策は,娼妓と深く関わっています。
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