発言席
期待される保健婦像
福島 弘毅
1
1福島外科クリニック
pp.173
発行日 1993年3月10日
Published Date 1993/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900655
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「一昨年前までは自転車で訪問していたことを考えると,ずいぶん楽になりました」と秋の七草の咲き乱れるでこぼこ道を,やっと県から支給されたバイクを押して,我々が分宿していた家への道すがら,岩見さんは淡々とした口調で話した。
昭和35年から岩手県下閉伊郡田野畑村での無医地区診療に私は学生のころから毎年参加し,寄付集め,診療準備の介助,アンケート調査,役場職員と便所の消毒などを行った。この村には戦後外地からの引き揚げ者が入植している開拓部落が8か所ほど点在し,粟,稗しかとれない痩せた土地を開墾し,土間とむしろ引きの10坪程の住まいで,夜は皿の灯油に芯を立てて明かりを灯していた。食べものは米のほとんど入っていない稗飯と夕顔の汁。エンゲル係数100%に近い極貧の生活をしていた。昭和35年と言えば日本経済が回復してきた頃だったが,まだこうした人々がひっそりと山里深くに生活していたのだ。
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