特集 多様な分野で働く保健婦
世界に飛躍する保健婦
再びネパールで働いて
望月 総子
1
1ネパール王国・保健省・国立結核センター
pp.560-562
発行日 1991年7月10日
Published Date 1991/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900272
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再びネパールへ
以前に青年海外協力隊員として働いたことのあるネパールは,私の青春時代の思い出の地でした。昭和63年の10月末,突然の電話でネパール行きの意志を問われた私は,とても戸惑いました。JICA(国際協力事業団)からの派遣で,日本・ネパール二国間の協定に基づき,結核プロジェクトで保健婦業務の指導にあたるというのです。ネパールで仕事をするということなど,二度とないことと思っていました。頭にはいろいろな思いが交錯しました。母の健康状況,毎日の仕事に追われる忙しい職場のこと,ネパール語は少し話せるが英語は苦手等々。
最終的には,私は自分の能力範囲のことしかできないが,それが求められているのなら,そして条件が整うのなら再びネパールで働いてみようかと考えだしました。条件は,現職場が休職を認めてくれるならということでしたが,上司,同僚等に話をしてみると意外にスムーズにことがはこび,区では条例を制定して送りだしてくれました。
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