ついである記・16
再びHunary
山室 隆夫
1,2
1京都大学
2国際整形災害外科学会
pp.1042-1043
発行日 1997年9月25日
Published Date 1997/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408902258
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●或るハンガリー人留学生のこと
或る国についての印象は,実際にその国へ出かけていって景色を見たり,食事をしたり,いろいろな人々と出逢うことによって自然に自分の中に出来上ってくるわけだが,その印象の深さを左右する最も大きな要素はその国でどのような人達とどのように関わり合いを持ったかということであろう.「ついである記(7)」の中で書いたように,私は1988年に初めてハンガリーへ行った.その後,何度もハンガリーの各地を訪ね多くの友人ができたが,ここに紹介するSzomor Zoltan君とその家族に出逢わなかったら,私のハンガリーという国に対する愛着はもっともっと稀薄なものに止まったのではないかと思う,ハンガリーでは氏名を書くとき,日本と同じように姓を先に書き,名を後に書く.したがって,彼の名前はSzomorが姓でZoltanが名である.そのゾルタン君はハンガリーのペーチ(Pécs)医科大学整形外科の医員で,1990年に先天股脱予防普及会の奨学金で初めて日本へやってきた.この会は神戸の荻原一輝先生が事務局を預っておられるが,世界における先天性股関節脱臼の発生を予防することを目的としており,その活動の一つとして,この疾患の多発国から毎年2人つつ若い整形外科医を日本へ招聘して1カ月間に亘って幾つかの小児整形外科センターへ研修旅行をさせるために奨学金を出している.
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